日本刀「大和伝」の歴史
日本刀鍛造五ヶ伝[美濃・大和・山城・備前・相州]の中で最も古い伝法に「大和伝」があります。平安後期、現在の一関市を拠点とする鍛冶集団の一つ・法華系は、奥州藤原氏支配下の寺院・法華院の庇護の元で活躍していました。藤原氏滅亡後は四国讃岐にてその技術を伝え、法華経太郎清房こと高橋三郎太夫が古讃岐鍛冶の祖といわれており、松山の法華氏もこの流れをくんでいると考えられ、大和伝のルーツも奥州にあるという説があります。
大和伝保昌派は、鎌倉末期に大和国高市郡(奈良県)の保昌貞吉・貞宗らにより完成されました。広い鎬(しのぎ)巾、高い鎬、鍛は柾目肌がよく整って美しく、刃文は直刃(すぐは)で上に行くにつれて焼き巾が広くなるなどの特徴があります。さらに柾目肌には夜空の星のように細かい地錵(じにえ)が付いていて神秘的な光を発し、極めて格調高い作風となっています。松山の法華氏の初代清房は、当時仙台藩の最もすぐれた刀匠であった山城大掾国包の流れを継ぐ九代半蔵国包に入門したのち、六代余目安倫にも師事、その作風は四代目までは大和伝、五代目が涌谷の一流斎貞俊に学び備前伝に変わりました。八代目に当たる故高橋昇氏は、先代の備前伝を継ぎながらも早くから本格的に大和伝の再現に取り組み八年の歳月を費やし復元に成功しました。のちに仙台藩に伝わる国包の大和伝保昌派を継承していることが認められ、昭和41年に宮城県指定無形文化財となりました。現在は九代目がその鍛刀技術を今に伝え、日本の刀工二百余人の内で大和伝保昌派の鍛法を続けているのは松山の法華氏だけと言われています。
松山の法華氏の初代清房は、当時仙台藩の最もすぐれた刀匠であった山城大掾国包の流れを継ぐ九代半蔵国包に入門したのち、六代余目安倫にも師事、その作風は四代目までは大和伝、五代目が涌谷の一流斎貞俊に学び備前伝に変わりました。八代目に当たる故高橋昇氏は、先代の備前伝を継ぎながらも早くから本格的に大和伝の再現に取り組み八年の歳月を費やし復元に成功しました。のちに仙台藩に伝わる国包の大和伝保昌派を継承していることが認められ、昭和41年に宮城県指定無形文化財となりました。現在は九代目がその鍛刀技術を今に伝え、日本の刀工二百余人の内で大和伝保昌派の鍛法を続けているのは松山の法華氏だけと言われています。
A.Y様
すっきりして安定したおいしさだと思います。白松の酒ケーキ「酣」も食べてみました。
N.K様
一ノ蔵色々飲んでいますが今は大和伝お気に入りです♪ スッキリしていて飽きないです。
T.S様
「うまみ」が感じられる日本酒だなといつも思っています。今年から福島に引っ越したのですが、こちらは宮城県限定なので、福島の方にお土産で差し上げるにも喜ばれるお酒です!